(1) 1973年(昭和48年)卒

30年前の約束を果たした日

 去る1月15日(土)、麻布学園西門(かつては裏門と呼ばれていた)に、20人ほどの中年の小父さんたちが集まった。通り過ぎる生徒たちは、なんだろう?と不審の目でながめていた。
  これは、昭和48年(1973年)卒業生たちである。彼らが、ちょうど30年前、1970年の1月、中学3年のとき、裏門の付近で遊んでいたときに、「ノストラダムスの大予言によれば、1999年7月に世界は滅亡するらしい。もし、これが本当になっても、生き延びていたら2000年の1月15日にこの裏門で再会しよう」という冗談ともつかない提案をある生徒がして、そこにいた十数人の生徒たちが約束しあったとのことである。 昨年暮、その提案をした人がそれを思いだし、「どうせみんな忘れているだろうな」と思いつつ、そのときの友人に確かめたところ、意外に沢山の人が覚えていたそうである。
 それでは、卒業以来会っていない友人が多いから、みんなに呼びかけてみよう、ということになり、E−meilで呼びかけたところ、大きな反響で、とりあえず、午後1時頃西門に集まったのが、この20人の面々である。(写真)

 この門も現在のものと違って、灰青色に塗られたトタンでできた、なんとも不細工なものであった。門の横には「第2新館」と呼ばれた教室棟があり、その後それは「生徒会館」(クラブの部室棟)となり、1995年現在の図書館、小教室があ100周年記念館として、生まれ変わったのである。当時のまま残っているのは、写真後ろに見えるいちょうの木のみである。
 1970年といえば麻布は第一次学園紛争に揺れ、この年の4月には山内校長代行が学園に乗り込み、程なく当時の成毛講堂、相模湖記念館などを壊して現在の講堂、管理棟の建築を始めたので、正門は閉鎖され、生徒たちはもっぱらこの裏門を使って登下校する事になった。
 そして、翌71年秋、文化祭を契機に、教員、生徒、父母をまきこんだ第2次紛争が起きる。
1ヶ月あまりのロックアウトの末、すぐ前のグラウンドで全校集会が開かれ、生徒たちの手によって山内代行に退陣を表明させるという劇的な場面を見守ったのも昔の裏門である。

 紛争のさなかで学園生活を送り、卒業していった彼らも、いまそれぞれ企業や病院、役所などで社会の中堅として活躍している。卒業以来27年ぶりに、懐かしい再会をした人たちもいた。大変な時代に学園生活を送ったにもかかわらず、息子を麻布に通わせている人、今年受験させる人も何人かいた。
 一見たあいのない少年時代の約束も、彼らにとって大きな青春時代の思い出としてよみがえったのであろう。
 このあと、場所を生徒時代によく昼食を食べた学園すぐ近くの中華料理店、今は広尾駅のすぐ近くに移っているが、那須飯店に会場を移し、あとから駆けつけた十数人を加えて、大いに盛り上がったとのことである。(2000年1月24日記)

 なお、昭和48年(1973年)卒業の同期会を、2000年5月27日(土)に学園で開くことになったとのことである。