図書館ブックフェア・「中国」
石川忠久先生 講演会(「漢詩の味わい−李白と杜甫−」)報告

 先週の土曜日(2005年2月19日)に、図書館ブックフェア・「中国」の講演会として、石川忠久先生(二松学舎大学学長)にお越しいただき、「漢詩の味わい−李白と杜甫−」と題するお話を伺いました。当日は、会場が超満員となる盛況で、生徒諸君は漢詩研究の第一人者である先生のお話にメモを取りながら皆熱心に耳を傾けていました。

 お話は、先生と漢詩との出会いから始まりました。母方のお祖父様が墨絵を描かれておられ、それに讃を付けていらっしゃるのを幼い頃に目にされて、「いいものだなあ」と思われたのが最初の機縁と言えるそうです。満州の中学校時代には漢詩への興味を深め、日本の中学に編入し、3年生の時には漢詩を作り始めていたということでした。作った漢詩を先生に見せたところ、「これでは本物の漢詩とは言えない」と言われ、専門の先生に教えを請うようになったそうです。そして、本格的に勉強するようになって、ますます漢詩が好きになり、迷わず大学で中国文学を専攻することとなったとのことでした。

 本題においては、まずは李白の漢詩「峨眉山月歌」を取り上げられ、想う人を故郷に残して都へ上る心情を読み解いていただきました。続いて、三首の漢詩によって、やがて宮廷詩人となりながらも、その地位から追われる李白の人生について、さまざまなエピソードを交えつつお話していただきました。

 とりわけ、「早発白帝城」の詩については、「一日にして還る」とあっても、必ずしもこれを罪を許されて中原に帰る時の詩として読む必要はなく、さまざまな語句からこの詩の中にも故郷に残してきた女性の存在が浮かび上がってくるという先生の独自の解釈を示されました。そして、「猿声」には女性の声が重ねられているとして、李白も聞いたであろう猿(gibon)の声を録音した、貴重なカセットテープを聞かせていただきました。その声は、甲高い悲痛な叫びというか、哀切極まるもので、聞く者の胸に痛切に迫るものでした。また、先生はどの詩についても中国語で朗読してくださいましたが、この詩については、現代中国語の音ではなく、推定される八世紀頃(李白の時代)の音でもお読みいただき、その音の低さと現代中国語との音の違いに驚かされ、日本語の漢字音がかえって昔の中国語の音に近い場合があることを知らされました。

 後半では、李白と杜甫の詩をそれぞれ二首と三首取り上げられ、十一歳違いの二大詩人の親交の跡を辿ってお話しいただきました。年上の李白に対して杜甫が「白也」と呼びかけていることや、互いに詩を贈り、両者の詩句が呼応していることなどのうちに、二人の親密さが表れているとのことでした。

 二時間近くのお話もあっという間に過ぎ、最後には、予定の時間を超過して、生徒からの質問を受けていただきました。「李白のようにお酒を飲んで、詩を作って一生を送る人生を先生はどう思われますか。」、「普通の文章よりも漢詩に置き字が少ないのはどうしてですか。」、「漢文が苦手なのですが、どういう勉強法がいいのでしょうか。」、「李白は四回結婚したそうですが、杜甫の家庭生活はどうだったのでしょうか。」などといったさまざまな質問がありましたが、「漢詩という好きなことをずっとやり続けられて先生が得られたものはなんでしょうか。先生にとって漢文とはどういうものなんでしょうか。」という問いかけに、「いろんなものを得ましたね。漢詩をやってよかったなあ。もう一度生まれ変わっても漢詩をやりたい。これなしには生きていられないなあ。私から漢文を取ったら私の人生はないなあ。」と答えていらっしゃったのが印象的でした。また、質疑応答の途中では、麻布生のために道すがら作ってくださったという漢詩を披露してくださいました。(お手紙とともに、その詩を改めて書き送っていただきましたので、写真を参照ください。菅野先生の書き下し文と口語訳を以下に添えておきます。)

《書き下し文》
 天下の名黌城市の南  靖閑の屋舎學耽るに宜し 他年業を畢え功成りし後 定めて是れ青 雲出藍を誇らん

《口語訳》
 天下の名門校麻布は町の南にある 閑靖な地に建つ校舎は学問に専念するのにはよい所だ  この先学業を終え成功した後は きっと青雲の人(高い社会的地位にあったり、学問や人格 にすぐれた人)として師を上まわる立派な評価を受けるようになるでしょう

 石川先生から漢詩について直接お話を伺うというめったにない貴重な経験を、楽しさのうちに得ることができたことを改めて感謝したいと思います。

 (文責:図書館・鳥居明久)