文化祭に教員有志が「私たちは『水俣』を知っているか」という展示で参加しました。その一貫として、水俣病を追い続けた映画監督土本典昭監督をお招きして、氏の作品の上映と講演を行いました。
土本監督は1945年に旧制麻布中学を卒業しました。この年は中学4年生と5年生が同時に卒業した年でもあります。
土本監督の水俣病関係では一番古い「水俣の子供たちは生きている」(1965年、日本TVのドキュメント)と、最新の「回想 川本輝夫」の二本を上映し(ビデオをスクリーンに投影)、その前後に氏の講演がありました。
会場(といっても教室、昔の2階張出教室)はほぼ満員でしたが、残念ながらそのほとんどが大人でした。でも、参加した若いOBたちは感激していました。
土本監督はつねに「水俣病は終わっていない」と強調されています、今回も「たぶんノーモア広島だろうが、ワンモア水俣だろう」と発言されていました。「ワンモア水俣」の意味は、たんに化学物質による害が繰り返されるというだけではありません。そうしたときの社会の対応、すなわち政府・自治体の無責任、企業の隠蔽工作、金で釣られた医者(科学者)の登場、患者と非患者の違い、患者たち内部での意見の相違、これらすべてをひっくるめて繰り返されるということを土本監督は強調されていました。土本監督が外国でも非常に注目されているのは、そういう世界共通の背景があるからでしょう。
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| 土本監督講演会 | 第52回文化祭水俣展 |
