『哲学ってなんだ』の著者・竹田青嗣氏を迎えて

 11月27日(土曜日)に、図書館の新企画として“著者を囲む読書会”を100周年記念館の小教室で開催しました。第1回目として竹田青嗣氏の『哲学ってなんだ』(岩波ジュニア新書)を取り上げたのは、竹田氏が近代哲学を再考しつつ、「自由」の問題を深く追究なさっており、「自由」を校風とする学園の第1回目の読書会としてふさわしいと考えたからです。

 読書会は、レポーターになってくれた生徒に著書の要約と簡単な感想を述べてもらうことから始まりました。竹田氏は、時にレジュメのレジュメが必要なものを書いてくる学生のものと比べて、簡潔にまとめられたレジュメでよい、とほめてくれました。また、レジュメの読み方の勢いからどう受け取ったのかもわかって、なかなかやるなと思わせられたとのことでした。

 話し合いは、竹田氏と哲学との出会いに関することから始まり、「若い頃、やりたいことがはっきりとせず悶々としていたと書かれていたと思うが、哲学をやるとそうなるということなのか。」との生徒の質問には、「哲学をやったからというのではなくて、哲学はひとつの受け皿であって、文学でも音楽でも同じではないのか。要するに、自由でありたいという感度の問題であって、自分の場合は、その受け皿が哲学であったのだと思う。」と答えられていました。その後は、「真理」と「普遍」という言葉をめぐってお考えを聞いたりしました。

 前半は、生徒たちがやや緊張していたようでしたが、途中で休憩を入れて、のどを潤してからは、リラックスした感じになり、いろいろな話題になっていきました。

 司会の不手際で、「自由」についてはあまり話を深められませんでしたが、生徒から、「麻布の自由は、カントのように、自らの道徳律を問うようなかたちでの自由ではなくなって、J.S.ミルのように、他人に迷惑をかけなければ何をやってもいいというものになっていて、その弊害が出ているようなのですが、そういう時、自由についてどういう方向性で考えていけばいいのだろうか。」という質問も出ていました。それに対して、竹田氏は、「自由というのは、もともとあるというものではなくて、相互承認されてはじめて確保されるものである。そして、仮に相手の自由を侵害してしまった場合には、その責任を負うという能力があってこそ、自由の相互承認というゲームに参加する権利・資格がある。ただ単に俺は自由だと思っている人には自由の権利・資格はない。そういう意味では、小さい子どもに自由の権利はないが、高校というのは微妙な線上にあって、大学とは同じように考えられない。たとえば、大学なら授業の邪魔をすれば出て行けということで済むだろうが、高校の場合、みんなが勝手なことをやって授業が成立しなくなるというようなことがあれば、自由の侵害があるわけで、授業参加者の自由に制限がつくのは仕方のないことだろう。」と語っておられました。

 その他、「哲学と心理学の違いはどこにあるのだろうか。」という質問には、「事実学」と「本質学」という言葉で両者の違いを説明しておられました。会の終わり頃になって、「論理的に考えるというけれど、フィーリングで書かれているような気がした。」という感想も出ましたが、「そう言われてしまうのは困るけれど、哲学の根本にあるのはフィーリングなのではないか。」と率直に話されていました。

 どのような質問や感想にもとてもやさしく丁寧に答えていただき、もっと時間がほしいという気持ちを残しつつ、読書会を終わりました。

 今後も、“著者を囲む読書会”を毎年読書週間の頃(11月)に実施してゆくつもりです。年に1回の企画ですが、楽しみにしていてください。また、取り上げてほしい著作や著者がありましたら、要望に応えられるとは限りませんが、図書館に申し出てみて下さい。(文責:麻布学園図書館・鳥居明久)